吃音の当事者にはどう接すれば良いのか?
こんにちは!
言語聴覚士(ST)の喜志です。
吃音に関する質問で、
よく聞かれる内容の1つが、
「吃音の知り合いがいるけど、
どう接したらいいのか?」
というものです。
吃音の有病率は、
およそ100人に1人の割合と言われています。
一校区の各学年に1人は吃音の人がいる計算です。
これって、
意外と多いと思いませんか?
もし、
自分の身近に
吃音で悩んでいる人がいたら、
どうしますか?
「気にならないよ!」と声を掛ける?
「ゆっくり言えば良いよ!」とアドバイスする?
吃音を意識させると良くないかもしれないから、
あえて知らない振りをする?
結論を言えば、
これらの対応は
どれも誤解を生じさせる可能性があります。
もし、
あなたが今まで
吃音の当事者に対して
何かしら思慮して頂けたのなら、
その気遣いに
まず感謝します。
良かれと思って
声を掛けて頂けたのなら、
当事者の方も
本心では嬉しいものです。
ですが、
場合によっては
せっかくかけて頂けたことばが、
吃音の当事者を傷つけることにもなります。
これは、
周囲の吃音の捉え方と
当事者の苦悩の感じ方とに
ギャップが生じたことにより起こります。
例えば、
先ほどの「気にならないよ」という一言。
周囲の人からみれば、
普段あまりどもっていないから
本当に”気にならないから大丈夫”という意図で
いった一言でしょう。
しかし、
吃音の当事者であれば、
「こんなに吃音に苦しんでいるのに、
何故わかってくれないんだ!?」
と捉えてしまいます。
何故このような誤解が生じるのでしょうか?
それは、
表面に出てくる吃症状よりも、
どもらないようにしようとする二次的症状の方が
吃音の症状として重症だからです。
こちらの表をご覧ください。
最初は正常な段階から始まり、
下方向に進展することで症状が追加され、
悪化していきます。
いわゆる”どもり”の症状は
第1層、第2層の時点で
すでに出揃っています。
ですが、第2層では
まだ苦悩はありません。
本人は
どもっていても
気にせず話しているからです。
ところが、
どもることを
”恥ずかしい”
”良くない事”
と捉え始めると、
どもらないように工夫を使い始めます。
工夫は、
どんな些細な発話の時でも
常に意識して使わなければなりません。
話すことに神経を使うようになり、
苦悩が始まります。
やがて、
話すこと自体が億劫になり、
発話を回避したり、
話す場面を回避したりして
症状が出揃います。
第4層は全ての症状が揃った
最も重度の吃音です。
吃音は人生にとって多大な問題と捉え、
多大な苦悩を抱えることになります。
もうお気づきになりましたか?
吃音でない健常者は、
表に出てくる吃症状の頻度で
吃音の重症度を認識しますが、
吃音の当事者は、
吃音に伴う苦悩の大きさで
重症度を認識します。
これが、
健常者と
吃音の当事者とで
吃音の捉え方に誤解が生じる原因です。
改めて、
もし、
自分の身近に
吃音で悩んでいる人がいたら、
どうしますか?
私の答えとしては、
相手の吃音の症状に注目するのではなく、
相手が話している内容に注目する事です。
つまり、
”普通のコミュニケーション”と同じです。
吃音に対して特別な配慮をするような事はしません。
それは、
吃音を悪化させることに繋がりかねないからです。
そして、
工夫や回避を続けることが本人に苦悩を与えている事に
理解を示して挙げてください。
吃音の当事者自身は、
症状と戦い続けることで必死に努力しています。
その努力は認めつつ、
しかし、症状と戦うことは
本人にとって利益にはなっていない。
という事を一度話し合ってみてください。
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